RESEARCH — 第2

記憶のメカニズム(2)

脳内にネットワークを作るための、コンテキスト補完と変換の訓練

前回のコラムでは、記憶を長く定着させるためには、脳内に情報のネットワークを形成させる必要があり、 そのためには、多くのコンテキスト(文脈、シーン、音声など)を与えることが重要である。 そして、状況に応じて自由に取り出せるようにするには、それらコンテキストからの変換練習を行う必要がある。

という話をした。今回はコンテキスト補完と変換の訓練の仕方についてもう少し深掘りしてみたい。

コンテキスト補完

理屈は置いておいても、単語カードを何度も眺めるだけでは、なかなか記憶に残らないが、 ある英単語が好きな映画の印象的な場面で使われていたり、小説の登場人物の感情と一緒に出てきたりすると、不思議と忘れにくくなる、といった経験のある方は多いだろう。
これがコンテキスト補完の効果である。

この記憶とコンテキストの関係については、いくつかの研究実験結果も示されている。

心理学者TulvingとThomsonは「符号化特定性原理」の中で、 ある単語を覚えるときに、その単語が使われた場面、話者の感情、音声、映像、前後の文脈まで一緒に処理しておくと、あとで「思い出すための入り口が増える」と説明した。
Tulving & Thomson, 1973

TulvingはCraikとともに、「処理水準」研究の中でも、 単語を見た目や音だけで処理するよりも、「意味に関わる問いに答えながら処理したほうが、その後の記憶成績が高くなる」ということを示している。
Craik & Tulving, 1975

Mayerのマルチメディア学習理論では、人は言語情報と視覚情報を別々のチャネルで処理し、それらを能動的に統合することで意味のある学習が起こると説明されている。
Mayer, 2024

また、別の研究では、読解やリスニングといった形でコンテキストを補完している過程で、新たな語彙が自然と記憶に追加されていく、という相乗効果も報告されている。
Webb, Uchihara & Yanagisawa, 2023

実際のコンテキスト補完の仕方

これは語学学習にそのまま応用できる。単語を見て訳語を確認するだけでは、処理は浅くなりやすい。一方で、次のような問いを立てると処理は深くなる。 語学学習を例にとれば、未知の単語やフレーズに出くわしたときに、次のような問いを立てながら辞書の用例やネット検索をしてみるとコンテキストが補完できる。

  • この単語はどんな状況で使われるのか
  • どんな感情や態度を含んでいるのか
  • フォーマルか、カジュアルか
  • 似た意味の単語と何が違うのか
  • 小説や映画では、どんなシーンで使っていたか

つまり、記憶に残る単語学習とは、単語を辞書的に処理するだけでなく、「意味」「状況」「感情」「用途」まで含めて処理する学習である。 一見めんどくさいように思えるが、実際にやってみると、苦痛な丸暗記から解放されて、結構楽しくできるものだ。

受験生なら次のようなノート(カード)を作ってみてもよいかもしれない。

記憶ネットワーク型カード

項目内容
単語reluctant
意味気が進まない、しぶしぶの
発音/rɪˈlʌktənt/
よくある形be reluctant to do
映像文脈ある人物が発言をためらう場面
ニュース文脈“Officials were reluctant to comment.”
感情不安、警戒、ためらい
自分の例文I was reluctant to start speaking English at first.

コンテキスト補完に適した辞書(少々宣伝)

コンテキスト補完を目的とするなら、使う辞書は用例が多く掲載されているものがよい。

一般に辞書の例文は、語句の「使い方」を説明するために書かれているので、極めて短い文になっている。コンテキストを得るためには、ある程度長めの実際の文章が用例としてあった方がよい。

用例の充実した辞書が世の中に意外と少ないので、当社では、様々なジャンルのコーパス(文章データベース)から用例を取り出して、各単語やフレーズに付けた辞書アプリを提供している。 この辞書は、世界中の執筆者がボランディアで編纂したWiktionaryという英英辞書に和訳を加えたもので、世にある英和辞典とは少々趣きが違う。 その単語のニュアンスや背景がわかるような訳になっているので、上記のコンテキスト補完が自然とできるような辞書になっている。

誰でも無料(広告もなし)で自由に使えるので、ぜひ試してほしい。 AiOne英語辞書

変換の訓練

補完したコンテキストは記憶の定着に必衰の要素だが、それを取り出す練習(変換の訓練)をしなければ、せっかくのコンテキストも失われてしまう。 前述した忘却曲線が落ち切ってしまうまえに、訓練をする必要がある。

この訓練の仕方についても、いくつかの研修があるので、興味のある方はよんでみてほしい。
Roediger & Karpicke, 2006

訓練といてもそれほど難しいものではない。
例えば、単語帳を開いたときに、単に意味の答え合わせするのではなく、以下のような問いかけを自分にしてみる

  • この単語はどの場面で出てきたか
  • 誰がどんな感情で使っていたか
  • 同じ意味を自分の状況で言うならどう使うか
  • 別の語句で置き換えられるか
  • 正しく発音できるか

このような練習をしていくと、「見覚えがある」状態から「自分で取り出して使える」状態になり、理解度が格段に進化する。
その結果、英語で発言するときに、状況や感情から一度日本語に変換しなくても英語が出せるようになっていく。
また、早いスピーチだとスピードについていけない、という場合は、このコンテキスト変換訓練をすることでリスニング力が目に見えて向上するはずだ。

楽しい学習

この方法のもう一つの利点は、学習が楽しくなることだ。自分が好きな映画、読みたい小説、関心のあるニュースと結びつけることで、学習対象は義務ではなく、興味の延長になる。

日本の大学生を対象にした研究でも、現実に使われている生の素材(コンテンツ)は、従来の人工的な教材よりも一部の学習者の動機づけに良い影響を与える可能性が示されている。
Shirai, 2013

日本が好きな外国人の多くが、驚くほどの早さで日本語を習得していく理由のひとつには、 彼らの興味の対象である日本のコンテンツ(マンガ、アニメ)を動機として、言葉を覚えていくことにあると感じている。 「好きなマンガにでてきた言葉を自分でも使ってみたい。」これば先に述べたコンテキスト補完と変換の訓練を無意識に行なっていると考えられる。

これまでの日本の語学教育はコンテンツを軽視しすぎていた。それが、言語音痴な国民性を生み出してきた一因ではないかと思う。

ネックは辞書引きの時間

さて、小説、ニュース、映画といった素材をベースに学習したいが、未知の単語を調べるのが面倒で続かない、と感じる方が多い思う。 字幕や訳語付きだと、そちらに目がいってしまい集中できない。

このような問題を解消するために、小説やニュース等の英文からダイレクトに辞書に飛んで戻れるアプリを現在開発している。 楽しい学習に向けて、「めんどくさくない多読」「完全に理解できるニュース」をめざしているので、期待していてほしい。

まとめ

コンテキスト補完と変換の訓練は、研究分野で実証が進められている分野であり、その効果には疑いがない。

また、このような学習方法は記憶の定着に役立つだけでなく、学習の楽しさにもつながる。

どんな方法論であれ、興味とモチベーションに勝るものはない。 これまでの単語カード丸暗記方式は捨てて、コンテキストドリブンな学習方法に切り替えることをお勧めしたい。

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